テンプルこぼれ話

テンプル大学ジャパンキャンパス 広報部blog


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TUJ-Sophia University Career Fair 2017: What Do Employers Want?

(English text to follow)

来年春卒の内定率は過去最高の92.7%と報じられているまさに売り手市場の新卒マーケットですが、テンプル大学ジャパンキャンパス(TUJ)の学生は、就活で他の日本の大学生とは異なる課題に直面します。日米の学事暦の違いから、卒業時期がTUJには年3回あり、日本の大学の春休みは、TUJではまだ学期途中で…など、3月卒、4月入社の一括採用のカレンダーに合わせるには、さまざまな調整が必要になります。多くの留学生が在籍し、就活について同じような悩みを抱える上智大学と共催で回を重ねてきた「TUJ-Sophia Career Fair 2017 in English」。日本で働くことに興味津々の学生ライター、ジェイダ・デイビスさんが今年のフェアをレポートします。(本文は英語です)


by Jada Davis (senior Journalism major and Study-Abroad student from Temple Main Campus)

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At TUJ’s annual joint career fair with Sophia University, held on October 13, students were given the chance to network with representatives from various Japanese and Japan-based foreign companies. As someone who is interested in working in Japan after graduation, this event provided a unique opportunity for me to gain insight into the business world in Japan.

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Each of the ten participating companies gave a brief description of their organization. Big name companies such as PwC and SG Holdings Co participated. What I noticed about each company was that, they were all very international. Many of them had several locations across Asia and around the globe. “The opportunities for us are endless,” said PwC’s Shannon Donnelly, a Sophia alumna. “We are a diverse team of fresh university graduates, working mothers, knowledgeable and experienced tax accountants […], totaling about 80 staff of around 15 nationalities speaking 20+ languages.” After the pitches, we shifted into a different room. Each company had their own booth and gave mini presentations to smaller groups of students. They offered positions in many diverse areas such as guest relations, sales and IT. Although these were not areas of interest to me as I am looking into journalism, I learned what each company was looking for in its prospective workers.

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“We’re interested in people who have the potential to grow,” said a representative from enworld. “Developing yourself into a top business person in the market is very important in this company.” Hard work and dedication were another quality that was stressed. HRNetOne described their policy where you “receive what you put in.” This means that they offer a fast track career program where employees are able to quickly progress in the company based on their performance. At the fair, I met a TUJ alumnus, Jack Liu, originally from China, who was able to quickly advance in his career at his company, PwC, as a good role model for TUJ students. Fukuyama Transporting, an established logistics service provider, discussed the globality of the company and how they have expanded their brand to stretch over hundreds of locations around the globe. “We have 400 locations in Japan, 15 in Asia and are expanding globally,” said a representative from Fukuyama Transporting. “So we’re recruiting heavily and looking for bilingual people for a wide range of positions.”

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There are many reasons why I would want to work in Japan. First, Japanese companies train their employees for their specific job. If I worked in Japan, I could potentially work in any field of interest to me with the proper training. Japan is also becoming more dependent on foreign labor, which means that there are more opportunities available. Finally, Japan has unique business customs. I was able to witness a bit of Japanese business etiquette such as the exchanging of business cards with two hands and the proper way of greeting with a long respectful bow. Partaking in that kind of formal business culture would be beneficial to developing my overall maturity and character. The TUJ-Sophia University Career Fair showed many possibilities for the future.

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Jada Davis is a junior journalism major, a study abroad student from Temple University Main Campus. She is an avid reader and aspiring editor. In the U.S., she spends her free time running after her three Jack Russell Terriers, playing tennis, and working odd jobs.


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『留学体験』対談シリーズ 第4弾 Vol.2

Vol. 1 [大先輩の留学体験談]のつづき

===
テンプルジャパンのスタッフは
日本人でも留学経験のある人がたくさんいます。
海外に行って、ときに悩み、楽しみ、そして、ときに苦しんで
日々を乗り越え貴重な体験をしてきた人たちだと思います。
そんなスタッフの留学体験談がテンプルジャパンで学ぶ学生や、
これから入りたいと考えている方たちにすこしでも参考になれば・・・。
このシリーズは、そんな思いで企画されたスタッフの「留学」ぶっちゃけトーク集です。
≫第一弾はこちらから https://tujcomm.wordpress.com/2009/04/20/
≫第ニ弾はこちらから https://tujcomm.wordpress.com/2009/05/29/
≫第三弾はこちらから https://tujcomm.wordpress.com/2009/07/30/
===
W.Watanabe:
留学前に英語の準備はどのようにされたんですか?

新田さん:
英語は、ほとんど個人で勉強しただけですね。

あとは、コロラド大学で文化系の大学院へ進む学生を集めた
サマースクールが開講されていて、
大学院入学前に1ヶ月半ほど通いました。

専攻する学科の基礎を復習して、
秋からの大学院に備えるというものでした。
日本人10人を含め全部で150人くらいの留学生がいて
世界50ヶ国くらいから学生が集まっていました。

W.Watanabe:
TUJみたいですね。

新田さん:
そうですね。

各部屋二人づつ寄宿舎に入って、
私のルームメートはエチオピアからの留学生でした。
エチオピアからは全部で15人ほど留学生がいて、
私のルームメートは、その中のリーダーでした。
だから、エチオピアの学生さん達が、
いつも私の部屋にワーッと集まって来て。

・・・生肉を食べるところに居合わせた事もありましたね。
「お前も食べろ」とか言われて往生したこともあった(笑)。

スーパーで買ってきた肉にね、
国から持ってきた凄く辛いスパイスをパパパッと振りかけて、
そのまま食べるんです。

ウェブマスター渡辺&W.Watanabe:
へ~ッ!!

新田さん:
私も非常にびっくりしました。

それが悲しい歴史を象徴するものだということを知ったのは、
それから何年も経ってからです。

実は、砂漠で火を使うと、
煙からベドウィンに見つかり襲われるので、
火が使えないという状況から生まれた知恵なんだって。
でも肉を生で食べると危険だから、
強いスパイスで殺菌して食べるようになったそうです。

彼等は、国費外国人留学生で皆エリートでした。
私と同じく1973年に大学院を卒業して、
祖国に帰ってから革命が起きたんですよ。
ハイレ・セラシエというエチオピアの皇帝が倒れて、
彼らが大活躍したらしいんです。
アメリカは国費で他国の革命を助長する
お人好しな国だなあ、思ったものです。

私のルームメートは帰国後行方不明になってしまったのですが、
おそらく、その革命のときに亡くなったのだと思います。

実は、今でもその仲間のうちの1人とは、
クリスマスカードのやり取りはしているんですよ。
私がイギリスで働いている時に、
「生命の危険があるから何か仕事を紹介してくれ」、
という逼迫した相談を受けた時期もありました。
その時、あまりお手伝いは出来なかったのですが、
最終的に国連に就職してアメリカに亡命したようです。

W.Watanabe:
・・・革命があったり、戦争があったり、
なんだか映画のお話を聞いているようです。。。

新田さん:
そうですね。
あの時は様々な国の人がいて、
国民性の違いとか、とてもおもしろかった。
自分にとっても良いステップだったと思いますね。
楽しかったですね。

ウェブマスター渡辺:
アメリカに行ったのはその時が初めてだったんですか?

新田さん:
そうそう。
飛行機も、新婚旅行のとき九州まで乗ったのが
生まれて初めてだったし。
それから1年チョッとで留学が決まったから。

W.Watanabe:
急ですよね!?

新田さん:
そうですね。
子供がようやくヨチヨチ歩きになった頃。
結婚して2年目に留学しました。
飛行機はDC8と言って、羽の下に4つ着いていたかな。

ウェブマスター渡辺:
プロペラですか!?

新田さん:
違う、違う。ジェットです。
空の貴婦人と呼ばれていた飛行機です。

W.Watanabe:
(笑)詳しく覚えていらっしゃるもんですね。

新田さん:
大体の学生は、3人一部屋でキッチンとバスルームを共有する
寮で生活しましが、私は料理ができなかったので、
大学院に入学してから2年間ホームスティしました。
3食付で、宿代が1ヶ月55ドルでした。

ウェブマスター渡辺&W.Watanabe:
えっ!? 1ヶ月55ドル!?

新田さん:
寮がちょうどそれくらいだったんですよ。
宿代55ドルに食事3食が110ドルでした。
だから1ヶ月165ドル。

ウェブマスター渡辺&W.Watanabe:
安すぎる。。。。

新田さん:
ガソリンが1ガロン30セントくらいの時代でした
今は3ドルくらいでしょ。

W.Watanabe:
それで卒業後はどうされたんですか?

新田さん:
卒業後は会社に戻ったんですが、部署異動をして
国際部に勤務するようになったんですよ。

先ず3年間名古屋の工場に配属され、
それからアメリカのロスに5年間赴任。
帰国後、国内で海外部をサポートする国際部に10年いました。
それから、イギリスへ6年半。ドイツに2年半。
海外へは大学の2年も含めて16年いた事になります。

もともと海外で仕事をやりたいと思っていたのですが、
留学がきっかけとなって、
そちらへ進む事ができて良かったと思っています。

ウェブマスター渡辺:
どうして海外で仕事をしたいと思っていたんですか?
何かきっかけはあるんですか?

新田さん:
・・・そうですね。
単に海外に憧れがあった、というのもあるんでしょうけど・・・。

大学入試の受験勉強の時、夜遅くラジオなんか聞いていると、
どこの国か分らない言葉で海外の放送が入ってくることがあってね。
言葉が理解できればもっと面白いだろうな、と思ったことがあって
英語だけは一生懸命勉強したんです。
そんなわけで、せっかく勉強した英語を活かせる仕事がやりたいな、と思ったんです。

当時、商事会社が花形で、大学のゼミの先生に相談したら
「海外に行きたいんだったら、
むしろメーカーの海外部門の方が穴場だよ」と言われ、
それがきっかけでメーカーに就職を決めたんです。

ただ、私達がアメリカに進出したころは、
日本のメーカーなんて誰にも相手にされないような時期だったんですよ。
その頃の日本の車もちゃちなもんで。
日本の製品は、品質が悪かった。

W.Watanabe:
今でこそ、日本製品は質の良さが世界的に有名だけど
当時の日本製品は良く壊れると
聞いたことがあります。

新田さん:
そうそう。
アメリカで安売り専門のお店に行くと、
質の悪い日本製品が売っている、という時代でした。
1971年というと、日本の製品がまだスタートラインにもいないような時期。

W.Watanabe:
なるほど。
日本の製品がどんどん良くなっていくところを
新田さんは見てきたんですね。

新田さん:
それは、本当にそう思いますね。

ウェブマスター渡辺:
TUJの学生と触れ合う機会が多いですが、
学生さんの印象はどうですか?

新田さん:
大学院の学生さんたちは、すごく真面目な方が多いと思います。
学部課程の学生さんたちは、英語のレベルはとても高いと思いますね。
それからボランティアに関心の高い学生さんが多いことに感心しています。

私は、若い頃から海外の方に色々お世話になったので、その恩返しをしたい、
そういう想いでTUJに入社しましたが、実は最近になって
やっとTUJの存在理由がわかってきました。

時代が違うので比べるのは難しいかもしれませんが、
私の時代のように「命がけ」で留学をする必要もなく、
手に届く海外がここにある。

アメリカの大学の単位を日本で取得し、
後から海外の大学へ編入することもできるし、
海外経験を早く身につけることができる。
それは若い人達にとって、
とても大きな利点だと思いますね。

ウェブマスター渡辺&W.Watanabe:
貴重なお話、ありがとうございました!


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『留学体験』対談シリーズ 第4弾 Vol.1

Vol.1 [大先輩の留学体験談]
===
テンプルジャパンのスタッフは
日本人でも留学経験のある人がたくさんいます。
海外に行って、ときに悩み、楽しみ、そして、ときに苦しんで
日々を乗り越え貴重な体験をしてきた人たちだと思います。
そんなスタッフの留学体験談がテンプルジャパンで学ぶ学生や、
これから入りたいと考えている方たちにすこしでも参考になれば・・・。
このシリーズは、そんな思いで企画されたスタッフの「留学」ぶっちゃけトーク集です。
≫第一弾はこちらから https://tujcomm.wordpress.com/2009/04/20/
≫第ニ弾はこちらから https://tujcomm.wordpress.com/2009/05/29/
≫第三弾はこちらから https://tujcomm.wordpress.com/2009/07/30/
===

7月から広報部のオフィスに学生が頻繁に訪れるようになりました。
学生のお目当ては、7月から私たちのオフィスに引っ越して来た、渉外部コミュニティー・リレーションズ担当の新田さん。おもに港区の地域貢献活動を担当しています。その活動は多岐にわたり、異文化交流の一環として、留学生や外国人スタッフを区立の小・中学校に派遣して出身国の紹介をしたり、区内のゴミ拾いのボランティアなど、地域住民の方とTUJの学生を繋げる貴重な交流の場をコーディネートしています。

また、港区は外国人人口が多いため、海外から日本の小・中学校へ入学・編入する子供たちが少なくありません。その中には日本語が分らないため学校で辛い思いをする子供たちも多く、彼らが環境になじめるよう、TUJの学生から同じ国の出身者を探し、サポートを手配するといったことを行っています。

先日のお祭りで神輿担ぎに参加した学生たちが口々に「楽しかった」と、言っているのを聞いて、キャンパス内では味わえない貴重な体験を提供しているのだと、とあらためて新田さんの仕事内容を知りました。

新田さんは、国内メーカーで日本だけでなくアメリカ、イギリス、ドイツ支社での赴任を経て、引退した後、2002年にTUJに入社。今回は、人生経験豊富で私たちの大先輩でもある新田さんをゲストに迎え、お話を伺いました。

ウェブマスター渡辺:
新田さんの留学体験を教えてください。

新田さん:
私が留学したのは1971年で、帰国したのは1973年。
ですから今からもう38年前のことになります。
1ドルが360円で、自分でお金を出して行けるような時代じゃなかった。
私の場合は、会社に留学制度ができた初めの年に、
会社からお金をもらって、私を含め8人が留学しました。

1971年というと、8月15日に、「ニクソンショック」があって、非常に劇的な年でした。
受験料を送金するにも、銀行に行ってパスポートを見せて初めて、
ドルに換金することができました。
日本がドルが無くて困った時代でした。

W.Watanabe:
大学に編入されたのですか?

新田さん:
いや、大学院です。
カリフォルニア州クレアモント大学院大学というところです。
ロスから東の方に50マイルくらい行った
クレアモントという町にあった大学です。
大学院の在校生は当時300人ほどで、
大学全体を合わせても3000人ほどの小さい大学でした。

皆さん、ピーター・ドラッカーって有名な経営学者ご存知ですか?
私が入学した年に彼が私の大学院の教員となって、
1972年に経営学部ができました。
私はそのクレアモントのMBA第一期生なんです。

その後イトーヨーカドーの創始者伊藤雅俊が学部設立に
20億円を寄付したので、彼の名前も入れて、
Peter F. Drucker and Masatoshi Ito Graduate School of Management
という名前になりました。

ウェブマスター渡辺&W.Watanabe:
その当時にMBAを取得されてたとは、すごいですね!?

新田さん:
1973年の取得でした。

ウェブマスター渡辺:
どうやってその大学院を選んだんですか?

新田さん:
当時できたばばっかりの会社の留学制度の候補大学院のうちの一校だったんです。

UCLAとUCバークレーも合格したんだけれども、
1971年というとベトナム戦争が真最中だった時でね。

UCバークレーは、当時大学がひどく荒れていた。
だって、学生達はいつ自分が「徴兵」されるか分らないから。
途中、諦めきれずに「やっぱりバークレーに変更しようか」と思って
立ち寄ったことがあったんだけど、とにかくヒッピーがひどく多くて。

私のような外国の学生がひとりで生き残れるかどうか心配だったから、
…まぁ、難しいから卒業できるかどうかっていう心配もあったと思うんだけど(笑)、

それでバークレーはやめて、結局クレアモント大学院大学に入学を決めました。
小さい大学院だったから、そういう意味では、
教授ともワンツーマンで話す機会も多く、良い選択だったと思いますね。

===== Vol. 2へつづく =====


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『留学体験』対談シリーズ 番外編 第3弾 Vol.2

Vol.1 ~新しい環境に慣れるにはクラッシュコースが一番!~のつづき

アドミッション・カウンセリングで海外担当のカウンセラーをしているNinaをゲストに迎えてインタビュー。後編です。

===
テンプルジャパンのスタッフは
日本人でも留学経験のある人がたくさんいます。
海外に行って、ときに悩み、楽しみ、そして、ときに苦しんで
日々を乗り越え貴重な体験をしてきた人たちだと思います。

そんなスタッフの留学体験談がテンプルジャパンで学ぶ学生や、
これから入りたいと考えている方たちにすこしでも参考になれば・・・。
このシリーズは、そんな思いで企画されたスタッフの「留学」ぶっちゃけトーク集です。

第一弾はこちらから
第ニ弾はこちらから
===

ウェブマスター渡辺:
ところで、子どもの頃、日本からアメリカに行ったときにカルチャーショックってあった?

Nina:
イロイロあったけど・・・。
まずは、スポーツかな?
日本では野球は結構ポピュラーだけど、
アメリカでは色んな種類のプロフェッショナルスポーツが、
アメリカのカルチャーの大きな部分を占めるくらい凄く人気。

当時3年生で、周りのみんなが話題にしている「マイケル・ジョーダン」が、
いったい誰なのかわからなかった(笑)。

ウェブマスター渡辺:
確かに、バスケット好きじゃなかったら
日本ではジョーダンを知らない人いたかもな~。
ちょうど僕はそのころ高校生でバスケ少年だったので
ジョーダンは神様として崇めてたけど。。。

Nina:
あと、サマーキャンプ!
日本ではあまりポピュラーで無いと思うんだけど、
アメリカでは夏休みに子ども達が3週間から1ヶ月くらい
サマーキャンプに参加するのが普通なの。
キャンプで歌をうたったり、たき火をして、マシュマロ焼いたり(笑)。

ウェブマスター渡辺:
マシュマロ焼くのアメリカっぽいね!

Nina:
馬に乗ったり、ボーイズスカウトやらガールズスカウトやら・・・。
そんなアウトドア要素が盛りだくさんの色々な種類のサマーキャンプがあって、
違う学校からも集まっている生徒と一緒に夏を過ごすんです。
日本では経験無かったし、3週間も家族と離れてサマーキャンプに
参加しなきゃいけないなんて、大きなカルチャーショックでした。

W.Watanabe:
まだ3年生だったんだもね。。。

Nina:
それから、音楽。
当時アメリカではラップがはやってたり、
日本で聴いていたのとは全然音楽の種類が違ってびっくりした。

W. Watanabe:
小学校のとき、ラップが流行っていたんだ・・・・(ショックを受けるアラフォー。。。)

ウェブマスター渡辺:
ところで、アドミッション・カウンセリングで Ninaがやっている入学サポートって
海外からの学生だけを担当しているの?

Nina:
家族の仕事の都合か何かで海外の大学に行っていて、
編入を希望する日本人学生とかも担当しています。

ウェブマスター渡辺:
海外出身の学生と日本人の学生とでは、違いはある?

Nina:
特にないと思う。。。国籍とかではなく、人によるかな。
ただ、日本人の学生は、日本を既に知っていて経験していることが多いけど、
海外からの学生は、ほとんどが「日本」という外国が初めてで、
学生VISAの申請手続きがあったり、カルチャーショックもあるだろうし、
いろいろな不安や心配を抱えてます。

W. Watanabe:
やっぱり日本に留学する外国人学生も、
私たちが海外留学するときみたいに「怖い」っていう気持ちがあるんですね。

Nina:
すごく強いと思う。
そういった心配ごとの相談やお問い合わせは多いです。
「日本語話さなきゃいけないの?」というのはよくある質問だけど、
たまに面白い質問もあります。
「東京でハンバーガー買えるの?」とか(笑)。
あと、学校では靴を脱がなきゃいけないの?って。(笑)

ウェブマスター渡辺:
そうそう。
みんなチョンマゲに髪を結ってね、
授業は畳の上で正座して。。。
って、江戸時代かっ!(笑)


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『留学体験』対談シリーズ 番外編 第3弾

Vol.1 [新しい環境に慣れるにはクラッシュコースが一番!]

===
テンプルジャパンのスタッフは
日本人でも留学経験のある人がたくさんいます。
海外に行って、ときに悩み、楽しみ、そして、ときに苦しんで
日々を乗り越え貴重な体験をしてきた人たちだと思います。

そんなスタッフの留学体験談がテンプルジャパンで学ぶ学生や、
これから入りたいと考えている方たちにすこしでも参考になれば・・・。
このシリーズは、そんな思いで企画されたスタッフの「留学」ぶっちゃけトーク集です。

≫第一弾はこちらから https://tujcomm.wordpress.com/2009/04/20/
≫第ニ弾はこちらから https://tujcomm.wordpress.com/2009/05/29/
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今回はアドミッション・カウンセリングで海外担当のカウンセラーをしているNinaさんをゲストに迎えてインタビュー。 アメリカ人と日本人の両親を持つ彼女は、真のバイリンガルです。小学校2年まで日本で過ごし、その後渡米。アメリカで大学卒業後、2年程働いた後、かねてから再訪を希望していた日本へ。日本の英文雑誌のエディターを経て2年前にTUJに就職し現在に至ります。TUJでは入学希望者に、日本での生活に関する様々な質問に答えたり、実際の入学までの細かなサポートを担当しています。(実際は英語と日本語混ざり合う内容でしたが、ここでは日本語表記にしています。)
W. Watanabe:
Ninaは日本には小さい頃しかいなかったのに、
日本語も堪能ですよね。日本の学校には行ってないの?

Nina:
1年生の初めの半年だけ日本の普通の小学校に通って、
それから清泉インターナショナルスクールで小学校2年まで。
でも、渡米してからは家でも英語を話すようになって、
3ヶ月で日本語が全く話せなくなっちゃって・・・。
聞くのは分かったんだけどね。

また日本語を話せるようになりたかったから、
大学でまた勉強したんです。漢字も結構勉強しました。
もともとは建築が専攻だったんだけど、思っていたよりも面白くなくて・・・。
3年の時にメジャーを決定するときに日本語に専攻を変更したの。

W. Watanabe:
そっか。
メジャーを途中で変更できるって、アメリカの大学の良いところだよね。

ウェブマスター渡辺:
そういえばNinaの大学は、確かUW(ユーダブ: University of Washington)だよね?
実は僕、行ったことあります!

Nina:
Really? When!?

ウェブマスター渡辺:
大学を卒業した後、UWの建築コースに進学を考えたこともあって、
一度見学に行ったことがあります。
もしかしたらキャンパスで会っていたかもね!?
行ったのは・・・確か、95年くらいだったかな。

Nina:
・・・・その時私、まだ高校生だったよ。(笑)

ウェブマスター渡辺:
・・・(ショック)!?えっ!
Ninaっていくつだっけ!?

Nina:
28歳。(笑)

ウェブマスター渡辺:
(動揺を隠せない)あれっ。
そんな違うんだ!僕、34 ・・・。

W. Watanabe:
アラフォーですね。

ウェブマスター渡辺:
・・・まだアラフォーじゃないっす(怒)。

W. Watanabe:
(笑)失礼いたしました。まだ誕生日でなかったですね。
ところで、日本で働こうと思った動機は?

Nina:
アメリカに引っ越してから、いつか日本に戻りたいって
ずっと思っていたことがまずあって。
大学卒業して2年くらい向こうで働いて、
2004年に一度日本に来たんだけど、すっごく楽しくって。
それで「日本に行こう」って決めて、
チケットを買っちゃいました!

W. Watanabe:
「One way ticket」 ですか?
カッコイイ~!

Nina:
そう!One way ticket!
姉が一足先に日本に来ていて、
当時彼女がフリーランスでエディターをしていた英文雑誌に紹介してくれたの。
アメリカにいるうちに電話でインタビューをして、
日本到着2日後にはもう働きはじめました。
そんな感じで引越しから仕事まで色々なことが一気に起こって、環境も変わって。
久しぶりの日本で、カルチャーショックに悩む暇がなかった!

W. Watanabe:
子どもの頃アメリカに引っ越したときみたいに?

Nina:
そうですね。
沢山のことを同時に色々考えなきゃいけないと、環境に順応しやすいような気がする。
時間に余裕があって悩む暇がありすぎると、行き詰まっちゃってたと思う。

W. Watanabe:
悩む暇も無く、集中的に色々吸収するって感じでしょうか?

Nina:
そうそう。
そっちの方が、無理矢理な感じはあるけど、
新しい環境に順応する時にはいいかなって、私は思ってます。
日本に来て最初に働いた英文雑誌社ではアシスタント・エディターだったんだけど、
他の2人の編集者がほとんど日本語使えないということもあって、
日本人のインタビューとか取材のお問い合わせなども担当していて、
日本の企業とのコミュニケーションは全部私が対応してました。

その時は、本当にわからないことが沢山あって
姉に「これはどうやるの?」って毎回メールで聞いてた。
・・・そう、最初の数ヶ月は、本当に大変でした!

W. Watanabe:
子どもの頃しか日本にいなかったのに、
突然日本でビジネス・コミュニケーションって、凄く大変そう!

Nina:
ほんと、クラッシュ・コースだった!
I needed to know , or fail!
色々なビジネス書を買って読んだり、インターネットで検索したり。
「日本語でのビジネス文書の書き方」が英語で説明された本はなかったので
日本語で書かれた「英語でのビジネス文書の書き方」というハウツー本を購入して勉強したりしました。
二人は帰国後、どうでした?ハウツー本とか買った?

W. Watanabe:
もちろん、買いました!

ウェブマスター渡辺:
僕はハウツー本とかではなくて、社内のメールのやり取りとかで勉強しました。
日本語がおかしかったことも多々あったようで(今でも?)、
メールの内容や日本語が「面白いよねぇ(笑)」なんて、言われたこともありました。
日本に帰ってきて初めて働いた日本の組織では
クライアント企業とのやり取りの際の敬語とかも大変だったなぁ。。。

Nina:
英文雑誌を退社した後、
日本企業の英字新聞を発行する編集部に入ったんだけど、
そこの企業文化には馴染めなかった。。。
職員は全員日本人で、広大なオフィスに何列も机が並んでて、
正面に部長と課長が座っていて。。。
一日中、し~んと静まり返って会話もなく、
みなさん各自仕事に没頭している職場で・・・。
・・・興味深い経験ではありました。

===== Vol. 2へつづく =====