テンプルこぼれ話

テンプル大学ジャパンキャンパス 広報部blog

『留学体験』対談シリーズ 第4弾 Vol.2

コメントする

Vol. 1 [大先輩の留学体験談]のつづき

===
テンプルジャパンのスタッフは
日本人でも留学経験のある人がたくさんいます。
海外に行って、ときに悩み、楽しみ、そして、ときに苦しんで
日々を乗り越え貴重な体験をしてきた人たちだと思います。
そんなスタッフの留学体験談がテンプルジャパンで学ぶ学生や、
これから入りたいと考えている方たちにすこしでも参考になれば・・・。
このシリーズは、そんな思いで企画されたスタッフの「留学」ぶっちゃけトーク集です。
≫第一弾はこちらから https://tujcomm.wordpress.com/2009/04/20/
≫第ニ弾はこちらから https://tujcomm.wordpress.com/2009/05/29/
≫第三弾はこちらから https://tujcomm.wordpress.com/2009/07/30/
===
W.Watanabe:
留学前に英語の準備はどのようにされたんですか?

新田さん:
英語は、ほとんど個人で勉強しただけですね。

あとは、コロラド大学で文化系の大学院へ進む学生を集めた
サマースクールが開講されていて、
大学院入学前に1ヶ月半ほど通いました。

専攻する学科の基礎を復習して、
秋からの大学院に備えるというものでした。
日本人10人を含め全部で150人くらいの留学生がいて
世界50ヶ国くらいから学生が集まっていました。

W.Watanabe:
TUJみたいですね。

新田さん:
そうですね。

各部屋二人づつ寄宿舎に入って、
私のルームメートはエチオピアからの留学生でした。
エチオピアからは全部で15人ほど留学生がいて、
私のルームメートは、その中のリーダーでした。
だから、エチオピアの学生さん達が、
いつも私の部屋にワーッと集まって来て。

・・・生肉を食べるところに居合わせた事もありましたね。
「お前も食べろ」とか言われて往生したこともあった(笑)。

スーパーで買ってきた肉にね、
国から持ってきた凄く辛いスパイスをパパパッと振りかけて、
そのまま食べるんです。

ウェブマスター渡辺&W.Watanabe:
へ~ッ!!

新田さん:
私も非常にびっくりしました。

それが悲しい歴史を象徴するものだということを知ったのは、
それから何年も経ってからです。

実は、砂漠で火を使うと、
煙からベドウィンに見つかり襲われるので、
火が使えないという状況から生まれた知恵なんだって。
でも肉を生で食べると危険だから、
強いスパイスで殺菌して食べるようになったそうです。

彼等は、国費外国人留学生で皆エリートでした。
私と同じく1973年に大学院を卒業して、
祖国に帰ってから革命が起きたんですよ。
ハイレ・セラシエというエチオピアの皇帝が倒れて、
彼らが大活躍したらしいんです。
アメリカは国費で他国の革命を助長する
お人好しな国だなあ、思ったものです。

私のルームメートは帰国後行方不明になってしまったのですが、
おそらく、その革命のときに亡くなったのだと思います。

実は、今でもその仲間のうちの1人とは、
クリスマスカードのやり取りはしているんですよ。
私がイギリスで働いている時に、
「生命の危険があるから何か仕事を紹介してくれ」、
という逼迫した相談を受けた時期もありました。
その時、あまりお手伝いは出来なかったのですが、
最終的に国連に就職してアメリカに亡命したようです。

W.Watanabe:
・・・革命があったり、戦争があったり、
なんだか映画のお話を聞いているようです。。。

新田さん:
そうですね。
あの時は様々な国の人がいて、
国民性の違いとか、とてもおもしろかった。
自分にとっても良いステップだったと思いますね。
楽しかったですね。

ウェブマスター渡辺:
アメリカに行ったのはその時が初めてだったんですか?

新田さん:
そうそう。
飛行機も、新婚旅行のとき九州まで乗ったのが
生まれて初めてだったし。
それから1年チョッとで留学が決まったから。

W.Watanabe:
急ですよね!?

新田さん:
そうですね。
子供がようやくヨチヨチ歩きになった頃。
結婚して2年目に留学しました。
飛行機はDC8と言って、羽の下に4つ着いていたかな。

ウェブマスター渡辺:
プロペラですか!?

新田さん:
違う、違う。ジェットです。
空の貴婦人と呼ばれていた飛行機です。

W.Watanabe:
(笑)詳しく覚えていらっしゃるもんですね。

新田さん:
大体の学生は、3人一部屋でキッチンとバスルームを共有する
寮で生活しましが、私は料理ができなかったので、
大学院に入学してから2年間ホームスティしました。
3食付で、宿代が1ヶ月55ドルでした。

ウェブマスター渡辺&W.Watanabe:
えっ!? 1ヶ月55ドル!?

新田さん:
寮がちょうどそれくらいだったんですよ。
宿代55ドルに食事3食が110ドルでした。
だから1ヶ月165ドル。

ウェブマスター渡辺&W.Watanabe:
安すぎる。。。。

新田さん:
ガソリンが1ガロン30セントくらいの時代でした
今は3ドルくらいでしょ。

W.Watanabe:
それで卒業後はどうされたんですか?

新田さん:
卒業後は会社に戻ったんですが、部署異動をして
国際部に勤務するようになったんですよ。

先ず3年間名古屋の工場に配属され、
それからアメリカのロスに5年間赴任。
帰国後、国内で海外部をサポートする国際部に10年いました。
それから、イギリスへ6年半。ドイツに2年半。
海外へは大学の2年も含めて16年いた事になります。

もともと海外で仕事をやりたいと思っていたのですが、
留学がきっかけとなって、
そちらへ進む事ができて良かったと思っています。

ウェブマスター渡辺:
どうして海外で仕事をしたいと思っていたんですか?
何かきっかけはあるんですか?

新田さん:
・・・そうですね。
単に海外に憧れがあった、というのもあるんでしょうけど・・・。

大学入試の受験勉強の時、夜遅くラジオなんか聞いていると、
どこの国か分らない言葉で海外の放送が入ってくることがあってね。
言葉が理解できればもっと面白いだろうな、と思ったことがあって
英語だけは一生懸命勉強したんです。
そんなわけで、せっかく勉強した英語を活かせる仕事がやりたいな、と思ったんです。

当時、商事会社が花形で、大学のゼミの先生に相談したら
「海外に行きたいんだったら、
むしろメーカーの海外部門の方が穴場だよ」と言われ、
それがきっかけでメーカーに就職を決めたんです。

ただ、私達がアメリカに進出したころは、
日本のメーカーなんて誰にも相手にされないような時期だったんですよ。
その頃の日本の車もちゃちなもんで。
日本の製品は、品質が悪かった。

W.Watanabe:
今でこそ、日本製品は質の良さが世界的に有名だけど
当時の日本製品は良く壊れると
聞いたことがあります。

新田さん:
そうそう。
アメリカで安売り専門のお店に行くと、
質の悪い日本製品が売っている、という時代でした。
1971年というと、日本の製品がまだスタートラインにもいないような時期。

W.Watanabe:
なるほど。
日本の製品がどんどん良くなっていくところを
新田さんは見てきたんですね。

新田さん:
それは、本当にそう思いますね。

ウェブマスター渡辺:
TUJの学生と触れ合う機会が多いですが、
学生さんの印象はどうですか?

新田さん:
大学院の学生さんたちは、すごく真面目な方が多いと思います。
学部課程の学生さんたちは、英語のレベルはとても高いと思いますね。
それからボランティアに関心の高い学生さんが多いことに感心しています。

私は、若い頃から海外の方に色々お世話になったので、その恩返しをしたい、
そういう想いでTUJに入社しましたが、実は最近になって
やっとTUJの存在理由がわかってきました。

時代が違うので比べるのは難しいかもしれませんが、
私の時代のように「命がけ」で留学をする必要もなく、
手に届く海外がここにある。

アメリカの大学の単位を日本で取得し、
後から海外の大学へ編入することもできるし、
海外経験を早く身につけることができる。
それは若い人達にとって、
とても大きな利点だと思いますね。

ウェブマスター渡辺&W.Watanabe:
貴重なお話、ありがとうございました!

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中