テンプルこぼれ話

テンプル大学ジャパンキャンパス 広報部blog

『留学体験』対談シリーズ 第4弾 Vol.1

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Vol.1 [大先輩の留学体験談]
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テンプルジャパンのスタッフは
日本人でも留学経験のある人がたくさんいます。
海外に行って、ときに悩み、楽しみ、そして、ときに苦しんで
日々を乗り越え貴重な体験をしてきた人たちだと思います。
そんなスタッフの留学体験談がテンプルジャパンで学ぶ学生や、
これから入りたいと考えている方たちにすこしでも参考になれば・・・。
このシリーズは、そんな思いで企画されたスタッフの「留学」ぶっちゃけトーク集です。
≫第一弾はこちらから https://tujcomm.wordpress.com/2009/04/20/
≫第ニ弾はこちらから https://tujcomm.wordpress.com/2009/05/29/
≫第三弾はこちらから https://tujcomm.wordpress.com/2009/07/30/
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7月から広報部のオフィスに学生が頻繁に訪れるようになりました。
学生のお目当ては、7月から私たちのオフィスに引っ越して来た、渉外部コミュニティー・リレーションズ担当の新田さん。おもに港区の地域貢献活動を担当しています。その活動は多岐にわたり、異文化交流の一環として、留学生や外国人スタッフを区立の小・中学校に派遣して出身国の紹介をしたり、区内のゴミ拾いのボランティアなど、地域住民の方とTUJの学生を繋げる貴重な交流の場をコーディネートしています。

また、港区は外国人人口が多いため、海外から日本の小・中学校へ入学・編入する子供たちが少なくありません。その中には日本語が分らないため学校で辛い思いをする子供たちも多く、彼らが環境になじめるよう、TUJの学生から同じ国の出身者を探し、サポートを手配するといったことを行っています。

先日のお祭りで神輿担ぎに参加した学生たちが口々に「楽しかった」と、言っているのを聞いて、キャンパス内では味わえない貴重な体験を提供しているのだと、とあらためて新田さんの仕事内容を知りました。

新田さんは、国内メーカーで日本だけでなくアメリカ、イギリス、ドイツ支社での赴任を経て、引退した後、2002年にTUJに入社。今回は、人生経験豊富で私たちの大先輩でもある新田さんをゲストに迎え、お話を伺いました。

ウェブマスター渡辺:
新田さんの留学体験を教えてください。

新田さん:
私が留学したのは1971年で、帰国したのは1973年。
ですから今からもう38年前のことになります。
1ドルが360円で、自分でお金を出して行けるような時代じゃなかった。
私の場合は、会社に留学制度ができた初めの年に、
会社からお金をもらって、私を含め8人が留学しました。

1971年というと、8月15日に、「ニクソンショック」があって、非常に劇的な年でした。
受験料を送金するにも、銀行に行ってパスポートを見せて初めて、
ドルに換金することができました。
日本がドルが無くて困った時代でした。

W.Watanabe:
大学に編入されたのですか?

新田さん:
いや、大学院です。
カリフォルニア州クレアモント大学院大学というところです。
ロスから東の方に50マイルくらい行った
クレアモントという町にあった大学です。
大学院の在校生は当時300人ほどで、
大学全体を合わせても3000人ほどの小さい大学でした。

皆さん、ピーター・ドラッカーって有名な経営学者ご存知ですか?
私が入学した年に彼が私の大学院の教員となって、
1972年に経営学部ができました。
私はそのクレアモントのMBA第一期生なんです。

その後イトーヨーカドーの創始者伊藤雅俊が学部設立に
20億円を寄付したので、彼の名前も入れて、
Peter F. Drucker and Masatoshi Ito Graduate School of Management
という名前になりました。

ウェブマスター渡辺&W.Watanabe:
その当時にMBAを取得されてたとは、すごいですね!?

新田さん:
1973年の取得でした。

ウェブマスター渡辺:
どうやってその大学院を選んだんですか?

新田さん:
当時できたばばっかりの会社の留学制度の候補大学院のうちの一校だったんです。

UCLAとUCバークレーも合格したんだけれども、
1971年というとベトナム戦争が真最中だった時でね。

UCバークレーは、当時大学がひどく荒れていた。
だって、学生達はいつ自分が「徴兵」されるか分らないから。
途中、諦めきれずに「やっぱりバークレーに変更しようか」と思って
立ち寄ったことがあったんだけど、とにかくヒッピーがひどく多くて。

私のような外国の学生がひとりで生き残れるかどうか心配だったから、
…まぁ、難しいから卒業できるかどうかっていう心配もあったと思うんだけど(笑)、

それでバークレーはやめて、結局クレアモント大学院大学に入学を決めました。
小さい大学院だったから、そういう意味では、
教授ともワンツーマンで話す機会も多く、良い選択だったと思いますね。

===== Vol. 2へつづく =====

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